2011年05月24日
雑毒の善
鎌倉時代前期の僧・親鸞(しんらん)聖人の言葉で、
『雑毒(ぞうどく)の善』(毒の雑(ま)じった善)というお話があります。
むか~し昔、冬の寒さがとっても厳しい夜に、
橋の下でブルブルふるえている乞食さんがいました。
たまたま通った禅僧が、それを見て着衣を脱いで投げ与えました。
それを着た乞食さんは、ジロッと一目見ただけで、
なんの言葉も返ってきません。
たまりかねた禅僧が、声をかけました。
「どうだ、少しは暖かくなったかな?」
「着れば暖かいに決まっている。
わかり切ったことをなぜ聞くか。
与える身分をよろこべよ」
。。。即座の返答に、見返りを待つ心を見すかされて、
禅僧は恥じ入ったといいます。
私たちも、例えば何かプレゼントをした時だとか、
落し物を拾ってあげたりした時なんかに、
なんのお礼も返ってこなかったらなんて思うでしょうか。
自分で勝手に抱いていた期待が裏切られたり、
“ありがとう” の一言がなければ腹を立てて、
してやるんじゃなかったと、恨みすら持ちかねません。
仏さまから見たら、そんな人間のやる善なんて、
毒(我欲)の雑じった善 = 雑毒の善 でしかないんです・・・。
。。。っていう話なんですけど、正直、そんな神さまのような心境には、
(目指すべきテーマなんでしょうけど)
そうそうなれるものではありませんよね(汗)
。。。つづく…(*ฺ◕ฺ♉ฺ◕ฺ*ฺ)のだぁ〰♡
続きはこちら⇒ 『雑読の善②』
ありがとう ありがとう(オカゲサマのオカゲサマ~)
うたしショップのんき屋のほ~むぺ~じ
http://park5.wakwak.com/~nonkiya358/
うれしいなぁ たのしいなぁ わぁ~ しあわせぇ~(ユルルンル~ン♪)
Posted by 重盛太一 at 12:12│Comments(2)
│ひとりごと
この記事へのコメント
寒い時に着る物を頂いたら「ありがとう」と言える人でいたいし
お布施出来る立場だったら、そのことに「ありがとう」と言える人でありたいです
お布施出来る立場だったら、そのことに「ありがとう」と言える人でありたいです
Posted by たんぽぽ at 2011年05月24日 13:05
ぽぽたんありがとう♪
『施し』というものは、受けさせていただく方も、与えさせていただく方も、どちらも“ありがとう”で捉えたいよね(ニコニコ)
『施し』というものは、受けさせていただく方も、与えさせていただく方も、どちらも“ありがとう”で捉えたいよね(ニコニコ)
Posted by 重盛太一 at 2011年05月24日 13:43
コメントは当方承認後の受付とさせていただきます。