2010年10月07日
小乗仏教 1
お釈迦さまの没後約500年を経て、
仏教は『小乗仏教』と『大乗仏教』に分かれました。
小乗・大乗の『乗』という文字はそのまま “乗り物” という意味で、
『小乗仏教』とは、小さな乗り物・・・ということであり、
自分自身の悟り(救い)を目的としています。
正観さんや斎藤一人さんが言われている
“自分が太陽になる(その結果、周りも幸せになる)” という話は、
この小乗仏教的な捉え方といえますね。
『大乗仏教』とは、
「小乗仏教では修行をしたわずかな人しか救われず、
一般の人々は救われない。
しかし釈迦はすべての人々を救いたかったはずである」
・・・という思想のもとに誕生し、
大きな乗り物ですべての人々を救うことを目的とします。
日本に伝えられた仏教は、すべてがこの大乗仏教を基本としているそうです。
(小乗仏教(小さな乗り物)という名称は、
大乗仏教から “劣った思想” という意味でつけられた差別語であり、
実際の名称は「上座部(じょうざぶ)仏教」と言われています)
どちらが良いとか、どちらが正しいとかいう話ではないですよ~ん^^
あくまでも私なりの解釈ですが、
それぞれを合わして1本の『木』に例えてみます。
小乗仏教は自分がどう生きるか・・・ということですから、
足元を見つめるという意味で、木の根っこと言えると思います。
大乗仏教は、周りの人々を救うという思想がありますから、
ここでは木の幹や枝葉、つまりは目に見える部分の本体となりますね。
。。。続いちゃいます♪
たんぽぽ・ナレルのほ~むぺ~じ
http://park5.wakwak.com/~tanpopo/
うれしいなぁ たのしいなぁ わぁ~ しあわせぇ~(ユルルンル~ン♪)
仏教は『小乗仏教』と『大乗仏教』に分かれました。
小乗・大乗の『乗』という文字はそのまま “乗り物” という意味で、
『小乗仏教』とは、小さな乗り物・・・ということであり、
自分自身の悟り(救い)を目的としています。
正観さんや斎藤一人さんが言われている
“自分が太陽になる(その結果、周りも幸せになる)” という話は、
この小乗仏教的な捉え方といえますね。
『大乗仏教』とは、
「小乗仏教では修行をしたわずかな人しか救われず、
一般の人々は救われない。
しかし釈迦はすべての人々を救いたかったはずである」
・・・という思想のもとに誕生し、
大きな乗り物ですべての人々を救うことを目的とします。
日本に伝えられた仏教は、すべてがこの大乗仏教を基本としているそうです。
(小乗仏教(小さな乗り物)という名称は、
大乗仏教から “劣った思想” という意味でつけられた差別語であり、
実際の名称は「上座部(じょうざぶ)仏教」と言われています)
どちらが良いとか、どちらが正しいとかいう話ではないですよ~ん^^
あくまでも私なりの解釈ですが、
それぞれを合わして1本の『木』に例えてみます。
小乗仏教は自分がどう生きるか・・・ということですから、
足元を見つめるという意味で、木の根っこと言えると思います。
大乗仏教は、周りの人々を救うという思想がありますから、
ここでは木の幹や枝葉、つまりは目に見える部分の本体となりますね。
。。。続いちゃいます♪
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Posted by 重盛太一 at 11:58│Comments(0)
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